自分がない子ども時代
またまた先日の追記的なものになりますが、今回は私の子ども時代について。
HSPに関してですが、我が子と似ているところもありますが、私の場合は怖いものの対象が若干異なるかもしれません。
センシティブな映像は得意じゃないけれど普通に見れますし、ジェットコースターも勇気はいりますが ディズニーランドのスペースマウンテンぐらいなら乗れます。
まぁ、程度の問題なのかもしれませんが(^^; 基本的にはビビりです。
HSP気質が原因と思われる一番記憶に残っている思い出は、小さい子どもは平気なのに、オジサンがダメだったこと(^^;
害のなさそうなオジサンは大丈夫なのですが、特定の生理的にムリ!と思うオジサンは、目が合うだけで泣いていた記憶があります。
ワイルドな男の人がダメだったような気がしますw
本能的に何か危険を感じたのでしょうかね(汗)
幼稚園へ入る頃には そういうこともなくなっていきましたが、その頃にはかなり大人の顔色をみて行動する子になっていたと思います。
オジサンに限らず、今でも人の本質を見抜くというか、この人はヤバい!という直感が当たることが多いのは、HSPと関係あるんでしょうかね(^^;
関係あるかどうかわかりませんが、それ以外には、
・人に笑われることを極端に嫌がり泣いていた
・絶対音感を持っていた。ただし黒鍵のみだと✖
・好き嫌いは殆どないけど幼少期からにおいや音などにも敏感etc.
蛍光灯のついている時のジーっていう音・・・
ああいう音もたまに気になったり。
今も冷蔵庫の音が若干気になります(^^;
子どもの頃は常に親の視線が自分に向いていると感じ、親が喜ぶ表情や言動を意識していたような。
今でも人から視線を向けられるのがちょっと怖いです。ちゃんとしなきゃ!って謎のプレッシャーを感じてしまう。
小学校の頃は負けず嫌いなところもあり 親に褒められたくて頑張るのですが、親はもっと上のレベルを要求するので、どうせ自分なんて・・・といつも卑屈になっていました。
運動が得意で、それ以外にも絵や作文で入賞することもけっこうあったので、気の強い子たちから僻まれることも多く、そのたびに深く傷ついて落ち込んでいました。
この頃から人に嫌われるのを恐れるようになったと思います。
どうやって友達と接すればうまくいくのか分からず、友達と接していても自分だけ浮いているような気分になり、心の中では孤独感を感じていました。
ホント、自己肯定感がめちゃめちゃ低い子だったなと思います。
どんなに周りの人から褒められても、親から認められないんだから そんなはずはない、他人から褒められてもお世辞に違いないと思っていました。
それが表にも出てしまっていたのか、高校生の頃、担任の先生から
「自分を過小評価し過ぎだ」
と言われたことがありました。低評価するのは親だけで、周りからはそこまで低い評価はされていなかったみたいです。
大人になるにつれて、過去の失敗をもとに少しずつ無難に人間関係を築けるようになりましたが、嫌われたくないあまり お人よしの八方美人になってしまいました。
かなり気を遣って自分を抑え込んでいた気がします。
大学時代にある友達から、
「自分がないね。」
と指摘されショックを受けました。
人と接する時に相手に気に入られるように振舞っていたのを、その友達から見抜かれたんです。
自分らしく振舞っていると思っていたけど、そうではなく自分を押し殺して今まで生きてきたんだなと、その時思い知りました。
ほんと、友達には感謝です。
私の場合はHSPの気質に加え、後天的に毒親の影響を受けて自己肯定感が低いまま大人になった結果だと推測しています。
気付くのがちょっと遅かったですが、今はそれを受け止めて、試行錯誤しながら前に進んでいこうとしているところです。
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