sensaiさんでも楽しい生活。

~ HSPが生きやすくなるブログ ~

3.11から10年

 

今年で10年。

 

あっという間という気もするし

やっと10年という気もする。

 

被災された方々、そのご家族の方々に

あらためてお見舞い申し上げます。

 

南三陸町気仙沼など、

津波で壊滅的な被害に遭ったにもかかわらず 

震災当時の風景が嘘のように綺麗に整備され

そこに住む人たちが逞しく生きている。

 

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逆境を乗り越えた人は本当に強い。

 

私の悩みなどちっぽけに思えてきます。

見習って前を向きたい。

 

被災した人たちは、絶望と悲しみのなかを

この10年間 必死に生きてきたんですよね。

 

当時子どもだった被災者が成長し

地元のために貢献したいと

頑張っている若者の姿を見ると

ぐっときてしまいます。

 

地元が好きで、地域のために

何か恩返しがしたいと言う気持ち。

震災を経験して得たものも大きいのだと思います。

 

阪神淡路大震災東日本大震災も、

時間が経って復興が進めば

少しずつ記憶が薄れてしまうでしょう。

その記憶を風化させないようにしていかねばと思います。

 

 

私の実家は震災の起きた地域にあります。

 

津波のような大きな被害には遭わなかったものの 

放射線が高い地域で

除染作業も行われました。

 

風向きで放射線が飛んできた時

実家付近は断水中で 

父は水をもらうために

外に並んでいました。

 

幸い、今のところは健康上 問題ありません。

いつもは毒っぷりを発揮している父ですが、

このときばかりは心配になりました。

 

福島原発が爆発したというニュースを見て

夜中に震えが止まらなくなりました。

 

あんなことは初めてでした。

 

震災前と変わらず 自然が豊富で綺麗な花が咲いているのに

放射能に汚染されているなんて。

 

当時は絶望感に襲われました。

今までと世界が変わってしまったんだ。って。

 

実家は避難区域には指定されませんでしたが、

場所によっては放射線量が高かったです。

 

ガイガーカウンター放射線量を測ると、

実家のリビングの窓際も高めだということで

震災の年は帰省しませんでした。

 

目に見えないものが健康に害を与えるかもしれないという

不確かな恐怖。

ちょうど コロナで帰省するのを控えている今と

同じような感じでした。

 

10年経った今、原発の敷地内に汚染水を保管する場所は

殆どありません。

 

あとは汚染水を薄めて海に流すしかなくなります。

廃炉には あと30年はかかるようです。

 

薄めて流せば 健康被害はないと言われても

ほとんど前例がないので

本当のところはわかりません。

 

これから先も どこかで大きな揺れがきたら

日本中の原発は同じように危険なんです。

 

これ以上同じ被害に遭わないよう

対策を考えなければならないと思います。

 

 

最後に、震災から10年経ち、

見た目の復興は進みました。

 

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ですが

 

まだまだ復興したとは言えない場所もあるし

被害に遭った人々の悲しみだって

癒えることはありません。

 

日本は災害大国。

 

震災の怖さから目をそらさず、

次の世代が同じ被害に遭わないように

10年後も20年後も 語り継いでいきたいです。