物には罪はない
「物には罪はない。」
うちの子どもから言われた言葉です。
私の実家から、こちらが望んでいないものをもらうことが増えて、
ちょっと困っていた時に言われた言葉。
実家に帰省して、久しぶりに帰ってきた子どもに色々食べさせたい、帰りに色々持たせたいと思う親は多いと思います。とても有難いですよね。
その思いが、うちの親は極端に強いというかなんというか。
夫の実家でも、作った野菜やお中元でもらった飲みきれないビールなどもらいますが、
私の親は食べ物だけでなく、
自分が使っていた中古の家電や読ませたいと思う本
も持たせようとしてきます。
いらないと言っても、「前に欲しいと言っていたから」と引き下がりません。
ちなみにそんなこと言ってないです(汗)
どうしても自分が「与えたい」と思ったら、それを達成するまでは諦めないのです(*_*)
私は自分の家の家電を選ぶ時は、デザイン・色・使い勝手・値段など吟味して選びたいんです。
物選びにこだわりがあるのを親からも指摘されていたので、私のそういう気持ちを分かっていると思っていたのですが、
それよりも自分の思いを優先させてくることにイライラしてしまって。
断り続けていたら逆切れするので、仕方なくその家電を持ち帰ってくるのですが、
私の腹の虫が収まらず、家族の前でも心穏やかでいられなくなってしまいます。
ほんと、どうして分かってくれないんだろう・・・
しばらく使うのも見るのも嫌で、その家電を納戸にしまっておきました。
しばらくしたある日、今度は親が私に読ませたい本が送られてきました。
また私がイライラしていると、うちの子どもが
ママ、物には罪はないよ。
と言ったんです。
確かにそうだよなぁ。物には何の罪もない。
タダで手に入ったんだし、一回使ってみようかな。
そう思えるようになってきました。
納戸から家電を引っ張り出し、箱から出してみました。
新品ではなく、使い古しという点ではちょっと嫌ですが、便利は便利。
しばらく使うことにしました。
いつも「あんたに怒られるかもしれないけど」「あんたたちのためを思って」と前置きして、本や物を受け取るように言ってくる。
そう言えば私が断りにくくなると期待しているのでしょう。
父は、私たちの暮らしぶりが可哀想だと思っている人。
上から目線で可哀想な私たち家族を心配し、援助して「あげたい」のかもしれません。
それは私たちのためだけでなく、
自分の承認欲求を満たすためなのだと最近は感じます。
私たちを援助することで、自分には力があると思いたいのかも。
( コチラもよかったら読んでみてください ↓ )
でも、うちは物を増やしたくないし、必要でない物は使わない。
無理やり押し付けられているようにも感じてしまうんですよね。
「これ、うちで使わないんだけど、もしよかったらあげるよ」
ぐらいの勧められ方のほうが、いる・いらないの選択肢が残されているから
気持ちの負担が少ない。
そうなれば、たまには
「そうなの?じゃぁ もらっていこうかな。」
となりそうなのに。
「もらわないといけない」「断る選択肢がない」状態だと、負担です。
母は興味がないのに、通販好きの父がどんどん調理家電などを買うのですが、
使わないと父の機嫌が悪くなります。
前に私が「使わないならソレ欲しい」と言ってみたのですが、
そういう時はもらえませんでしたw
子どもにも意志があるので、たとえ自分がいいと思ったからと親の意見を一方的に押し付けるのではなく、子どもの気持ちに寄り添い理解しようとする姿勢は大事だなと思います。
昔は勉強や進路選びで意見が合わずモヤモヤしたけれど、大人になった今も上記のような理由でモヤモヤするとは。
またもや子どものひと言で救われた私。
我が子にも将来同じことをしないように気を付けたいものです。